鉄道唱歌 北陸編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
三条・彌彦の観光・歴史などを、初心者でも楽しめるよう解説してゆきます!
↓まずは原文から!
おりよと人はをしへたり
吾が身は何も祈らねど
いのるは君が御代のため
さらに読みやすく!
おりよと人は おしへたり
吾が身は何も 祈らねど
いのるは君が 御代のため
さあ、歌ってみよう!
♪おりよとひとはー おしえたりー
♪わがみはなーにも いのらねどー
♪いのるはきみがー みよのためー
長岡駅→三条駅→東三条駅→加茂駅→矢代田駅→新津駅→亀田駅→越後石山駅→新潟駅
(弥彦線)
東三条駅→燕三条駅→燕駅→吉田駅→弥彦駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅と、その他主要と思われる駅を筆者の独断と偏見でピックアップしたもの
東三条駅からは弥彦線に乗り換え、弥彦方面へ
三条駅(新潟県三条市)から1つ先の
- 東三条駅(新潟県三条市)
からは弥彦線に乗って、弥彦村へ向かっていくことになります。
歌詞の内容から弥彦線への乗り換えは三条駅であると誤解しやすいのですが、実際には1つ先の「東三条駅」が弥彦線への乗り換え駅になるので、勘違いしないように注意しましょう!!(私も残念ながら勘違いしていました
弥彦方面への拠点・三条市
弥彦村は、弥彦神社のある村になります。
弥彦神社については前回も解説しましたが、改めて後ほど解説します。
新潟県三条市には、「株式会社コロナ」という会社があります。
社名に「コロナ」がつくため、例の感染症が流行った時には、かなりの風評被害を受けたようです。
それは「(社名がウイルスを想起させて縁起が悪い」などというものです(科学的根拠がない。
これは新大阪駅前の「コロナホテル」、温泉の「コロナワールド」などにも同じことがいえます。
しかし、株式会社コロナはこうした風評被害にもめげず、不屈の精神で経営を維持させたのだからすごいですよね。
三条市と燕市の境界に位置する、燕三条駅
東三条駅を西へ出発すると、弥彦線で弥彦村方面へ向かってゆきます。
すると目の前には、気高い弥彦山の雄々しい姿がどんどん迫ってきます。
途中で、上越新幹線の
- 燕三条駅(新潟県三条市)
という駅と交差します。
この「燕三条駅」も、
- 「上越妙高駅」
- 「新函館北斗駅」
- 「水沢江刺駅」
- 「佐久平駅」
などと同じく、駅名を決める際には壮絶な論争が起きたそうです。
燕三条駅は、燕市と三条市のちょうど間の位置にあります。
つまり、市境の真上にあるわけです。
燕市と三条市の、新幹線駅名をめぐる論争
上越新幹線が開業する前、長岡駅と新潟駅の間は距離があまりに離れているため、万一のトラブルの時などに備えて、中間の駅を建設する必要がありました。
すると、ちょうど燕市や三条市という栄えた地域があったため、この位置に(中間の新幹線の駅を造ることが望ましいとされました。
しかし、燕市と三条市は、歴史的に確執があった(つまり、仲が悪い)ということはよく知られており、燕市に建設するのか、三条市に建設するのかで言い争いになります。
もし三条市に駅が建設されれば、燕市は観光客などを三条市に奪われることになります。
逆も同じです。
そのため、両者に配慮して、ちょうど燕市と三条市の市境の位置に駅を建設することになりました。
すると今度は、
- 「燕三条駅」にするのか
- 「三条燕駅」にするのか
で、駅名で言い争いが発生することになります。
この論争は相当に白熱したと言われ、散々に協議が重ねられた結果、
- 駅名は「燕三条駅」とする
- 駅長室を、三条市の領域となる部分に置いて、「所在地は三条市」とする
という結果に落ち着きました。
このように、お互いの市に対してメリットを持たせ、最終的に妥協案として成立したのでした。
一方、高速道路のインターチェンジは「三条燕IC」となっており、こちらは「三条」が先頭にきています。
燕三条駅で降りると、西側から出るとすぐに燕市で、東側から出るとすぐに三条市という、とても珍しく面白く興味深い構造になっています。
他の「駅名論争」があった新幹線駅
他にも、駅名をめぐって論争が起きた駅の例として、
- 新潟県の「上越妙高駅」
- 北海道の「新函館北斗駅」
- 岩手県の「水沢江差駅」
- 長野県の「佐久平駅」
などがあります。
上越妙高駅は、上越市と妙高市との間で、
- 「上越駅」にするのか
- 「妙高駅」にするのか
- また、「妙高上越駅」などにするのか
で意見が分かれました。
新函館北斗駅は、元々は「新函館駅」となる予定でした。
しかし、駅は隣の北斗市に所在するため、北斗市が反対して「北斗」の名称を駅名に入れるべきだとして、函館市との間で論争が起こりました。
水沢江差駅も、新函館北斗駅と似ていて、元々は「新水沢駅」となる予定でした。
しかし、近隣の江刺地域が多くの貴重な土地を線路用地として提供したことで、「江刺」の名前を駅名に入れるべきだとして論争が起こりました。
佐久平駅も、所在地である佐久市と隣の小諸市との間で論争が起きました。
佐久市としてはシンプルに「佐久駅」としたいところですが、小諸市は
- 「小諸佐久駅」
- 「佐久小諸駅」
などのように、駅名に「小諸」の文字を入れるべきだと主張しました。
新幹線の駅が出来るということは、
なので、東京からの人々にわかりやすい駅名である必要があります。
しかしその一方で、地元の地名度アップのチャンスでもあるため、地元としてはなんとしてでも自身の街の名前を駅名に入れてほしいわけですね。
これは致し方ないことですし、今後も日本中であちこちに新幹線が出来ていくでしょうから、今後もこうした論争は起こることはある意味避けられないでしょう。
越後国一宮・弥彦神社
やがて、越後線との交差点である吉田駅を過ぎると、やがて終点の弥彦駅に到着します。
弥彦神社は、前回も説明した通り、越後国の一宮となります。
弥彦神社は、越後国の一宮であり、また明治時代の近代社格制度では国幣中社に位置する神社です。
越後国とは、現代の新潟県のことです。
国というのは、奈良時代における都道府県のようなものです。
一宮とは、その国で最も位の高い神社のことです。
その次に、二宮、三宮と続き、また全国各地の地名の由来にもなっています。
「近代社格制度」とは、明治時代に制定された全国各地の神社に付けられたランク付けです。
明治時代は「国家神道」といって、国をあげて神道で力を上げようとしていました。
そのため、それまでの仏教と神道が混じった「神仏習合」は政府にとって都合の悪いものとなり、仏教よりもより天皇や皇室にゆかりある神道の方が重要であるとされました。
例えば「官幣大社」であれば、ランクは相当高くなります。
最も格式高い神社は三重県の伊勢神宮であり、ランク(社格)すらついていません。
弥彦神社は、国幣中社になります。
また、必ずしも「一宮」は「官幣大社」ではないことにも注意しましょう。
「一宮」は、奈良時代の律令制における区分のことです。
もちろん、官幣大社が一宮であるケースは多いです。

弥彦山(新潟県)
かつて越後・新潟の地をひらいた、天香山命
弥彦神社で祀られているのは、天香山命という神様です。
天香山命は、弥彦神社に祀られている神様です。
日本神話によると、
- 太古の昔に、現在の新潟県長岡市のあたりに降臨され、
- 人々に農業を教え、
- 漁業を教え、また養蚕の方法を教えるなどして、
- 越後国を発展させた
のでした。
つまり、天香具山命は越後国を造り上げた神様ということになります。
また、今から約2680年前、初代天皇の神武天皇の即位の儀式のときに、華麗な踊りを披露したとされています。
なお、西暦2023年は、日本の皇紀では2683年になります。
皇紀とは、初代天皇の神武天皇が生まれた年を0年として数える日本の年の数え方です。
神武天皇は、日本神話では紀元前660年に生まれたことになっています。
そのため、2023年は神武天皇の生まれた年から数えて2683年ということになります(2023+660=2683)。
「何も祈ることはないけれども、祈るは国の平和のため」
そして、歌詞には
とあります。
例え何か祈るものがなかったとしても、国家の平和だけは祈り続けていたい、という意味ですね。
ちなみに余談にはなりますが、もし私が神様の立場だったら、お参りに来た人によって、
と堂々と言える人の願いは叶えてあげたいと思いますが、
みたいな人の願いは簡単に神様からは嫌われ、叶えてあげようとは思いません。
そもそも、金持ちの人が高級外車を買うのは、見栄やエゴのためでは決して無く、節税など正当な理由があるからです(※)。
※高級外車は、社用車として購入すれば経費で落とせる。
また、金持ちの男性と結婚できるのは、その男性に相応しい努力ができる女性だけです。
このように、神社というものは本来は願いを叶えてもらう場所ではなく、
だということを肝に銘じておいたほうがいいかもしれません。
神社にお参りするときは、お願いではなく、神様に対して「誓いをたてる」事を心掛けたいものですね!!
そして、祈るは他にも、
- 「燕市と三条市が仲良くなってくれること」
- 「それだけでなく、世の中のみなが仲良くなってくれること」
- 「株式会社コロナなど、上記に挙げた風評被害を受けた人たちが立ち直ること」
- 「全ての人々が無病息災でいられること」
- 「あらゆる誹謗中傷がなくなってくれること」
- 「自殺する人が減ってくれること」
- 「うつ病などが無くなること」
- 「日本という国が(日本だけでなく世界中の国が、安寧に続くこと」
などですね。
こうした世の中にしていくために、(私も含め一人一人が努力を怠らず、自分ができることを精一杯やって、日々精進してゆきたいものですね!!
ちなみに2024年3月、燕市と三条市は、両市の長年の対決において決着をつけるため、燕三条駅において「綱引き大会」が行われました。
どちらも絶対に負けるわけにはいかない戦いということで、物凄く盛り上がりました。
三条市からは市長も参戦し、結果は三条市が勝利しました。
負けた燕市はとても悔しそうでしたが、「次は絶対に負けない!」と、物凄い意思を示しました。
次は、加茂・矢代田方面へ向かってゆきます!!
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